中太 /文スト遺書/



「こンなに寒い日は、厭でもあの日を思い出して仕舞うよ」


「皆居なく成ッて仕舞うのは、此の浮世が……、

誰かの書き連ねた物語――ストーリー――、だから?」


 問答をすればする程に、冷たい雨が胸に、心に刺さる。脳裏に浮かぶのは、悪夢のように”書き連ねられた”、記憶。錯覚。其処から生まれる、抗いようのない、自殺願望。

 けれど心の何処かに現れる、”逝きたい”と云う感情。

 其れ等全てに、私は蓋を出来ないで、開けっ広げている。其れは屹度、此の浮世を少しだけ……、ほんの少しだけ、”愉しい”とさえ、思って仕舞っているからかもしれない。

 如何し様もなく嫌気が差して、私は最期の悪足搔きをしてみる事にした。多分もうそろそろ、此の浮世も、私から離れるのだろう。だったら私から、無理矢理に引き離しても良いのではないか、と云うだけの、作戦。反抗。掌から擦り抜ける願いに、縋ってみるだけの、余力が未だ残っていた事に、私は漸く気が付いたのだ。






「矢ッ張り中也は、私の事を殺しては呉れないのだね……、一寸、寂しいよ」

 ある日一通の手紙が、俺の家に送られて来ていた。差出人は太宰。又何時もの嫌がらせだろうと思って綺麗に封をされた手紙を開くと、走り書きで先述のように記されていた。そして、より気に掛ったのは、厭にじっとりと便箋が湿っているのだ。

 確か、昨日の横浜は晴天だった。任務が長引いて俺は未明に帰宅したが、小雨が降り続いていたのを思い出す。彼奴は入水はするが、決して外が暗い時にはしない。ならばこんなに湿っているのは、如何考えても不自然だ。

 取り敢えず、此れは奴に直接聞いてみるしかないと思い、封をし直そうとすると、掠れた文字で記されている文章が目に入った。


『中也が死ぬ夢を見たンだ。其れは其れは素敵だッたよ。全く、君は死ぬ時位、綺麗に死ンで呉れないかい? こッちの身にも成ッて欲しい程だよ。……一つだけ、心配だろうから伝えておくよ。君自身の望みは叶ッたし、私の望みも叶ッた。万々歳だ。此の浮世も、悪くはないね』


 一度書いて消したンだろう其れは、厭にじっとりと湿っていた。他の何処の部分よりも湿っている為、容易く千切れて仕舞いそうだった。

 大きな溜息をして、まるで遺書の様な手紙を屑籠に放り、衣裳掛けの外套を羽織る。何時もの帽子を被って、携帯端末から充電器を抜く。遣る事は只一つ。今頃鼻歌でも歌いながら俺からの連絡を愉しみにしている彼奴に構って遣る為だ。派手に嘘を吐かねば本心を伝えられない、可愛げのない恋人に向けて、俺は呼び出し音を鳴らした。


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