太|宰治の独白 ※書きかけ

※ちらっと敦君出てきます

※人間.失格の解釈も加味していますがさらっと受け流してください



 靡く蓬髪、滴る水滴、呼吸器を満たす狂おしい程の酸素。身体は軈て空気を抜いた風船宜しく儚く、そして無残に萎れる宿命だと云うのに。”私”は未だ、”私の身体”は未だ、下らない生等に執着している。

 水中で夜の帳にも似た生涯を閉じようと、両の眼を塞ぐ。永遠にも似た闇に包まれる。此の儘、私は何にも執着することなく、儚く霧散せしめる光景が独りでに脳裏に浮かぶ。最早何の感情も其処には残っては居らず、薄れ逝く意識は総てを閉ざし、終焉を運ぶ。

 耳に響くのは嘗ての喧しい狗達の声で。事有る毎に干渉の札を引き、私に首輪を嵌め込んだ。慈悲だなんて幼稚な表現をして、必死に私を呼び止めた。

 何時ぞやの噺だったか、直接私の領域に踏み込んで来るなり、”助けたい”だの”死ぬな”だの矢張り滑稽な謳い文句を盛大に紡ぐ狗が居た。名前等もう憶えては居ない。眩しい程の白に染まり、私より遥かに明るい人間だったように思う。妙に生等に執着するから、危うく絆されてしまうかと危惧して仕舞ったっけ。

(ふふ、今と成ッては書物に挟む栞にも満たない存在だけれど)

 私は何故だか、ぼんやりとした意識の中で口許に弧を描いていた。冷たく封じた慟哭の世界に爪を立てて来る程、良く出来た虎が居たような気さえする。

(如何して仕舞ッたのだろうね、こンな処で思い出す、だなンて)

 己の不甲斐なさ、ひいては生者の世界への未練に気づき、自嘲的な笑みが零れた。ごぼっと酸素の泡が生み出される。煩わしく感じ、無理矢理に息を止める。脳に酸素が十分行き渡らずに、酷い眩暈がする。

(後少し、後少しで――)

 期待、羨望、歓迎。どれともつかない感情が犇めきあい、水圧に取って代わった。徐々に塞がれる己自身。薄れる意識。掠れる記憶。「人間失格」の烙印を押された愚者は、間もなく生涯に幕を下ろす。

 酸素が欠乏し、体内に大量の水分が侵入する。限界を悟り、私はふっといとも容易く意識を手放した。軽かった身体も、水分を吸い込み大きな廃棄物と成り下がった。

 最期に見えた水上の世界は、之迄より一層昏く私の両の瞳に映った。誰も彼もから見放され、”失格”だと揶揄される。私には似合いの結末だ。


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 所詮私も、掌から零れ落ちる存在の一人で。手に入れられたとしても直ぐに見放され、貶され、存在ですら認めては貰えない。之と云って執着もしていなければ、人を好きに成ると云うことも終ぞ経験のない私は、当たり前の評価に疑問すらも抱きはしなかった。云い換えれば、”失格”以外の評価を受けたことがない為に、”其れこそが正しい”と信じて疑いやしないのだ。仮令、他者に”違う”と云われようとも、私には下手な嘘を吐き、誤魔化しているように聞こえるのだ。幼少の頃から何ら変わらない、寧ろ”之こそが自分なのだ”と云い聞かせた程だ。

『なら本当のことを云えば良いンじゃァないかい? XX』

 納得行かない、偽善めいた笑みに私は込み上げる吐き気を堪え、自嘲的な笑みを浮かべようかとも思ったけれど、兼ねてから自身に身に着けている道化で、相手の心に其の儘訴え掛けるような笑みを浮かべた。何度も行っている為、本心を全く以って見せやしない庇護欲を心底燻ぶらせる其れに、相手は少々焦り気味に頬や頭を掻いて見せる。人間と云う生き物は矢張り私を怯えさせ、同時に心底愉しませて呉れる。私の完璧な道化にまんまと堕とされ、思い通りに振舞い、サァカスが始まる。余りの予想通りの展開に、好きな演目迄創り上げられて仕舞う程に、私の心を悪い意味でも、良い意味でも揺さぶった。


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 意識が途絶える寸前、脳に過ったのは如何でも良い記憶で、矢張り自己陶酔の成れの果てと云っても相違ない程だった。然しもう私には、正常な思考が出来る程、脳に酸素は行き渡って等居なかったし、途絶える数秒前だったから、最早走馬燈と云っても過言ではなかった。普通の人間であれば、動揺等して必死に藻掻くのだろうけれど、私は自ら望んで永遠を手に入れようとしている。己を”救おうと”している。私の必死の行動なのだ、少しばかり褒めて呉れても良いのかも知れない。


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 褒められたいだとか、認められたいだとか。恨めしい人間から其のような言霊を求める等、私からすれば人間と云う存在に屈するようで反吐が出て仕舞う。最も忌み嫌われるべき存在が、人間に屈している光景だなんて気持ち悪過ぎて見たくもないだろう。嫌悪感が全身を支配し、野鼠が這うかのような煩わしさすら感じさせて仕舞うだろうし、何より私自身が丸ごと毒素を摂取しているようで苦しくて仕方がないのだ。

 ”好きにさせて呉れ”位、道化を巧く使えば伝えられはするけれど、其れでは何ら変わりないし、屹度此方が払う代償の方が遥かに大きい。其れこそ吐き気が込み上げて来て仕舞う。毒痛みを食べている方が何よりマシだとも思える。


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 みたいなことを思い出しながら、私はゆっくりと息を止めた。


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 ――永い、永い夢を見ていた。永遠にも等しい其れは、私の心の奥底を照らす電灯のように煌めいて私には見えた。之こそが屹度走馬燈で、今度こそ私は死ねたのかと、淡い期待すら抱いていた。後程其れが全くの勘違いなのだと、知らされることに成って仕舞うのだけれど。

 兎も角、之はほんの先触れ、前兆し。


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 ――却説。



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