君と私の


ーー八年前、俺が見た悪夢の話


「さァ、僕と遊ぼうよ、ポートマフィアの飼い狗さん?」

奴はーー此奴は、異能が効かないあの木偶の其れを、有ろうことか摸倣ーーコピヰーーする異能をふんだんに使い熟し、俺の異能を尽く躱し、彼奴と同じ表情で俺を揶揄い遣がる。憎悪、嫌悪と云っても表現し切れない程に、此奴は"彼奴に酷似している"。

俺は重力を操る掌を下ろし、喉奥に先刻から迫り上がる嘔吐感に見ない振りをし、奴に自嘲的な笑みで答えた。

「ハッ、云ッて呉れるじゃねェか野良猫風情が」

云いながら俺は手袋に手を掛け、態とに衣擦れの音を立てた。

今更ンなことでしか立ち向かえない屈辱に悔しさを抱いてもいれば、こんな糞野郎ですら倒せない己の無力さ、否、"彼奴に酷似しているから"と云うだけの理由で一喜一憂している甘ったるい心にも、早々に終わりを告げたく成ったのだ。

「先程御兄さんたら、"懈怠の内に死を夢む"だなンて云ッてたけれど、あれは本当なの? だとしたら此処で死なせてあげるよ! 無様に君の首輪を噛み千切ッてね!」

心底面白くて堪らないと云った風に嗤う奴に反吐が出掛ける。だが其れ以上に、何度消そうと試みても離れやしない彼奴の顔が、俺の意識を、視界を真っ暗に染め上げた所為で、一気に肩の力が抜けたような感覚に囚われた。

軈て何もかもが抜け落ち、空洞と成った俺は、そっと瞼を閉じ、気がつけば口を衝いてぽつりと呟いていた。

「……遣れッなら遣ッてみろ」

「御望みとあらば、幾らでも御付き合いしてあげる!」

奴は伽藍堂の俺の言葉を聞き入れると、白い歯を覗かせ笑った。

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「御兄さん、もう終わり? 詰まらないなァ、もッと遊びたいのに」

至極詰まらなさそうに俺が外した手袋で遊びながら、奴は地面に倒れ伏す俺に溜息混じりで吐き捨てた。喉元迄せり上がって来ていた其れ等が到頭数滴、傷だらけの手の甲に染み渡った。

「其りゃァ此方の台詞だ……行ける処迄漆黒に染めて遣るよ」

俺はそんな奴に挑戦的な笑みを崩すことなく、歯を軋ませながら然う返すと、奴は彼奴と瓜二つの声音で、

「良いよ、見せてよ僕に」

等と云ったかと思うと、一瞬の隙を突いて俺の背筋を踏み躙った。弱い部分への直接的な刺激に、苦悶の声が反射的に出て仕舞う。幾らか骨にヒビが入った心地がし、意識を失いそうに成る。

然し俺は此処で、奴と彼奴との決定的な違いに気がつき、止まり掛けた呼吸を荒らげ、そして奴に些か愛らしさすら感じ、或る意味肝が冷えた思いだった。もう身体は微塵も動きはしないが、奴に牙を向ける最上の手段が、脳裏に過った。

ーー何方にしろ、残された時間は俺には少ない。なら、最期迄無様な野狗で死ぬ依り、余程此方の方が都合が良い。

「……執拗い野郎だぜ糞が……善いぜ掛かッて来遣がれ」

掠れた声で俺は呟き、最期の引き金を引いた。

「ーー汝、陰鬱なる汚濁の許容よ……更めてわれを目覚ますことなかれ」

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中也が其の詞を紡ぐと、紅が全身を包み、紫に染められた閃光が辺りを埋め尽くした。そして中也の背から弾き飛ばされた異能者と思わしき其奴は、寸での処で"攻撃を無効化した"。

ーー間違いない。奴は"現存する異能を模倣する異能者"だ。仮令其れが、私のような無効化でも、中也の重力操作でも。

私は無我夢中で駆け出していた。仮令此の身が砕け散ろうとも、中也は、中也だけは救いたかった。私は此処に居るのだと、全身で伝えたかった。

"今日から手前と俺は相棒だ、面倒事が増えたなァ"だなんて、私に笑い掛けてくれたあの笑顔が、如何しても、如何しても忘れられなかったから、之は屹度、私の我儘だ。

「ーー止めろ! ……止めて呉れ、中也……」

無理矢理走ったことで上がった息を諸共せず、私は中也を背後から思い切り抱き締めた。もう二度と、此の手を離したくはなかった。"相棒"だと微笑みながら握ってくれた、此の手を。

「……ざ……い……?」

私が抱き締めたことで、汚濁形態が無効化され、中也の意識が戻って来て呉れた。すると中也は驚いた目で私の名をか細いゝ声で譫言のように呟いた。

「如何して……駄目だよ、ねェ、約束したじゃないか、……"もう遣わない"ッて」

云いながら、中也の汚濁だけではない、敵によって、自分の不埒な行動によってついて仕舞った傷が目に入り、唇を噛んだ。

けれど中也は、あの日のことを忘れて等いなくて、私のことを真っ直ぐに睨み、

「……首領の云うことは唯一絶対だ、覆えはされねェ」

ーー等と私のことを突き放した。

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『ーー其れでも中也は……私じゃなくて森さんを優先するのだね?』

『ッたり前だろうが、手前なンざ隅にも置けねェボンクラだからなァ?』

『本当は私、誰よりも中也のことを大切にしたくて』

『道化は要らねェンだよ……之は俺の意思だ。手前は其処で指でも咥えて見てろ』

『嫌だ……嫌だよ中也……之以上は、中也が死ンじゃう……私今よりもッと中也の為に頑張るから、相棒として恥じない働きをするから……もう人間失格だからと蛆蛆したりしないから、ね?』

ーー以前、初めて中也が汚濁を使った時、人間とは到底云い難い中也が、目の前で暴れているのが受け入れられず、半ば半狂乱で止めたのを憶えている。

まるで、"本当の人間失格の所為で、俺は苦しいンだ"と咎められているようで、苦しくて堪らなかったのだ。

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「……此奴を殺せ、其れで茶羅にして遣る」

「中也……」

抱き締めた儘動かない私に、中也は痺れを切らしたのか幾らか優しい声音で呟いた。何だかんだ私に甘く接して仕舞う中也に、私は嬉しさから笑みを零した。

「オラさッさと片付けろ、怠け者が」

"ヒビ入り遣がッた代償払えよ青鯖"と呟きながら、中也は私に凭れ掛かり、直ぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。

痛さや異能に苦しみながらも強く生きる中也を抱きかかえながら、私は奴へ音もなく忍び寄り、隠し持っていた銃で奴の脳を貫いた。

ーー乾いた銃声と、地面を跳ねた空薬莢の音が、私の耳に何時迄も響いていた。

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「ーーみてェなことも有ッたな」

四年ぶりに汚濁を使った帰り、私に背負われながら寝息を立てていた中也がふと目を覚まし、ぽつりゝと語り出した昔話を、私は懐かしい心地で聞いていた。

「だねェ、あれからもう八年だ。……時は移ろうよ、私達の知らない内にね」

何処か中也のそんな懐かしむ一面に、新鮮さを私は感じ、中也を背負い直しながら私は微笑みを浮かべた。

「染みゝすンな気色悪ィ」

「私だッて人間だ、切なくも成るし悲しくも成るのだよ?」

そんな私に中也は悪態をつくが、

「如何だかな」

等と零し、欠伸を噛み殺していた。

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「……ねェ中也、世界は今も錆びれているかい? 色褪せていて、中也を苦しめていないかい?」

中也が二度目の眠りに就いて仕舞う前に、私は中也に、四年間離れている間ずっと聞けなかった、敵ではなく、唯一無二の相棒としての疑問を投げ掛けた。

「手前が居る間は痛くはなかッたが、急に痛く成り遣がッてな」

中也は少し考え、"何だ突然"と前置きしてから答えた。

「寂しいなら寂しいと云ッて御呉れよ、然うしたら会いに行ッたのに」

私は中也のそんな言葉に、心が痛む思いはあったけれど、背負う命の重さに、愛しさを感じたのは勘違いではない筈で。何人たりとも中也と私の関係は壊せやしないなんて、偏屈な考えも過る程、私は中也のことが、傍で呼吸をする存在こそが、本当に大切なのだと私は込み上げる涙を堪えるのが精一杯だった。

「なら地獄迄這いずッて来い、俺を寂しがらせンじゃねェぞ」

泣きそうに成っている私を、中也は愉し気に揶揄い、今度こそ私の涙腺は崩壊した。

して遣られた気に成り、負けじと私は云い返した。

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「堕ちる前に、私が何回だろうと握り返すよ。……約束だものね」

ーー"君と私の"。

傷つきながらも歩き続ける私達を、満月の光が進むべき道を、優しく照らしていた。

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